今年も始まる青柏祭

 青柏祭 

概要
石崎奉燈祭
七尾祇園祭七尾港まつりとともに七尾四大祭のひとつである。

七尾市の大地主神社の例大祭として毎年5月3日から5日まで行われる。名前の由来は、神饌青柏の葉に盛って供える事からと言われている。

1983年昭和58年)1月11日青柏祭の曳山行事(せいはくさいのひきやまぎょうじ)という名称で重要無形民俗文化財に指定された。


曳山(でか山)

  • 名前の由来は、山車の大きさから(大きいことを『でかい』というため)[2]
  • 「府中町[3]」・「鍛冶町」・「魚町」三町の“山町(やまちょう)”から、それぞれ1台の山車が奉納される。
  • 山車の形は、末広形とも北前船を模したものとも言われる。
  • 山車の高さ約12m、上部の開き(長さ)約13m、幅、上部約4.5m、下部(車輪間)約3.6m、車輪の直径約2m、幅約0.6m、重量約20トンと山車としては日本最大級。上段に歌舞伎の名場面をしつらえる。
  • 5月2日には、でか山に乗せる人形の「人形見(にんぎょうみ)」が各地域の家庭や公民館で行われる。
  • この山車を通す為にルートを横切る区間の電柱が高く設置されている。
  • 近年、デカ山の後幕は各町の紋の幕ではなく、地域の子供たちが共同制作した幕を使用しているそうである。
歴史と由来981年天元4年)、能登国国守源順が能登国の祭と定めたのが始まりと言われているが、室町時代後期に能登国守護であった畠山義統の治世において行われたのが起源という説[1]もあり、起源は明確ではない。古くは、4月申の日に開催されていた。 この申の日に行われることには理由があり、その昔、七尾の山王神社に毎年一人の美しい娘を人身御供として差し出す習慣があった。ある年に、白羽の矢が立った家の家主が娘の命を助けたいと思い、深夜に社殿に忍び込んでみたところ、猿が「娘を喰う祭りの日が近づいたが、越後の「しゅけん」は俺がここにいることを何も知るまい。」とつぶやいていた。そこで、娘の父親は、「しゅけん」という名を頼りに急いで越後へ向かい、「しゅけん」に助けを求めた。「しゅけん」は全身真っ白な毛の狼だった。 その狼の話によると、昔3匹の猿(日光東照宮に描かれている「見猿、聞か猿、言わ猿」のことだとも言われている)が他国から越後に来て人々に害を与えたため、「しゅけん」が2匹までかみ殺したが1匹を逃がしてしまい、行方は分からなかった。その1匹が能登に隠れていたと知った「しゅけん」は娘の父親を背中に乗せ、海の上を鳥のように飛んで七尾へ到着、祭りの日、娘の身代わりになって唐櫃に入り神前に供えられた。その夜、暴風雨で荒れ、両者の格闘する壮絶な物音が聞こえた。翌朝、人々が行ってみると、両者は相打ちで冷たい骸となり倒れていた。人々は、「しゅけん」を手厚く葬り、また、猿のたたりを恐れて、3台の山車を奉納することになった、ということである。

 

 

おススメポイント
一般的に想像するイベント的な祭りではなく、由来と神事を念頭にみると、縄や藤蔓でくみげた20トンもの山車をテコの原理で方向転換させる辻回しはもとより、曳出し前の祝い唄と舞いの“七尾まだら”を見逃しては台無しですね。
また、地形や神社の位置を頭に置き常に神社に背を向けずに進行する点でも信仰心をかんじます。
街中よりも曳き出しで路地をかけぬけたり、道中の路地での辻回しは人智と伝統の技を身近に感じることができます。
また、試運転の際だけに見ることの出来る“むしろ山”も玄人好みで良いものです。

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